村山聖について、彼の師匠森信雄七段は後年 彼について こう語った。「私が村山聖を好きなのは、将棋にひたむきだったことと、病気のことも含めて一切グチを言わなかったことである。無念さや切なさ、遣り切れなさ、口惜しさ..その思いをすべて黙って将棋にぶっつけていたような気がする。」 聖は幼時より腎臓に重い疾患を持っており、生きること自体が闘いであった。いつまで生きられるかという思いを心の片隅に置き、名人を目指して指す彼の将棋は その必死さ において尋常なものではなかった。
平成5年2月10日 王将戦第3局二日目の終盤、谷川の89手目を見て村山は苦吟する。その3手前に打った7五桂は当然の一手のようにみえたが、その一手が村山から勝ちを奪っていた。勝てる将棋だった。勝ち筋は他にあったのだ。 呻吟する村山、伸びやかで自信に満ちてみえる谷川。逆光の中での二人の対比が見事に一幅の絵となっている。 「将棋世界」’93.4月号グラビア頁より 王将戦は結局、0勝4敗で谷川に敗れた。しかし、村山が得た財産は大きかった。そして、自分と谷川との距離を初めて正確につかんだのである。